劇作家相馬杜宇のOfficialBLOG

32歳、脳出血発症中!劇作家の相馬杜宇がホッピー、コンテンツSEO、病院の不可解さについて語るブログです。

障がい者を加害する危うさについて

普段暮らしていると、無意識のうちに障がい者を加害している危うさを日々感じている。
だってバスの車内で杖を突いている左の片麻痺の男が現れると、「どこか空いてる席無いかな~」と一瞬見回しただけで、あたかも水戸黄門が現れたようにサッと立ち上がり(※無関心を決め込んでいる人も中にはいる)、「優先席座って申し訳ありません❗どうぞどうぞお座り下さいませ‼️」とすごい勢いで席を譲られてしまうのだから。魔法の力と言ったら良いのか、気の使い方はなかなかすごい。本音では立ったままでも全然大丈夫なのだけど(だって33だし)、「どうぞ座って下さい❗」と言われると、何だかビミョーな気持ちになる。
同じことは電車の車内にも言えて、ちょっとほろ酔い気分になり、「出来れば座れると嬉しいな~」と脇目心を抱きつつ、優先席でずっと座っていたら、次の駅で降りてしまい、内心「たった一駅かよ」と思って座ろうとすると、横の人に割り込まれてしまったりなど、「優先席なのに割り込み!?」と思ってしまったり、一方で「お前は何様だよ。たかが障がい者だろ」と思い、いかんいかんと自粛する、そんな毎日(笑)

【激怒】「障がいは言い訳に過ぎない」を巡る東京都の回答

 東京都のパラアスリートの返答が来た。
これでは全く返答になっていない❗
何度も言うように、制作のプロセスを示して欲しいと言っているのだ。これじゃコピペであることがバレバレで、何の答えにもなっていない。
馬鹿にしてるのか?
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相馬杜宇 様

日頃より東京都の障害者スポーツ振興施策に御理解、御協力をいただき、ありがとうございます。

この度は貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。

「BEYOND FES 丸の内」(10月12日から21日まで)では、パラアスリートを覚えてファンになっていただくため、23人の選手について、競技中の写真とともに競技に向き合う強い気持ちを添えたポスターを制作し、東京駅構内等に掲示しました。

23のポスターの中に、杉野明子選手(バドミントン)の「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」という言葉があり、これについて、疑問のお声を複数頂戴しました。

この言葉は、杉野選手御本人がメディアの過去のインタビューにおいて発信された言葉を基に、競技団体の御協力・御確認の下に、東京都が責任をもって制作したものです。

この言葉は、杉野選手御自身が競技に向き合う姿勢を表したものであり、決して他の方に向けられたものではありませんが、東京都のデザイン及び掲示方法が不適切であったため、不快な思いをされる方が生じる事態となりました。

頂戴したお声を重く受け止め、東京駅構内の当該ポスターを撤去し、「TEAM BEYOND」ウェブサイト内の当該ポスター画像を削除いたしました。

御不快な思いをされた方々に心よりお詫び申し上げます。

また、御指摘をくださった方には御礼申し上げます。

 

「TEAM BEYOND」は、展示物等のより一層慎重な制作を心がけ、多くの方にパラスポーツ、パラアスリートの魅力をお伝えしていくよう努めてまいりますので、今後とも、杉野選手をはじめとするパラアスリートの応援を、何卒よろしくお願い申し上げます。

東京都 オリンピック・パラリンピック準備局

パラリンピック部調整課 普及啓発担当

【再送】パラアスリートの件

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パラアスリートの件、問い合わせメールを送っても3日間返答がなく、再び催促のメールを送ることにした。

非戦を選ぶ演劇人の会、劇作家の相馬杜宇(あいばもりたか)と申します。
10月16日に真意を求めるメールを送付しましたが、その後返答がなく、メールいたしました。
繰り返しますが、他意が無いのは承知しています。コラムニスト小田嶋隆さんも指摘している通り( https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181016-00000079-mai-soci)、「公の機関である都が発するメッセージとしてこのように受け止められる可能性があることを、作製過程で誰も指摘しなかったのか」が疑問なのです。出版に至ったプロセスを知りたいです。
常識で考えれば、他の表現に改めると思いますし、杉野明子氏は「障がいは言い訳に出来ない」の実際の発言から、「言い訳にすぎない」と言い換えられたと聞きます。この作為的な言い換えはなぜなのでしょうか?
恐らく、新入社員のケアレスミスか、何か意図があってのことだと思います。ぜひ有耶無耶にせず、プロセスを説明して下さい。よろしくお願いします。
相馬杜宇拝

「障がいは言い訳に過ぎない」の発言の真意について

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非戦を選ぶ演劇人の会の実行委員をしております、劇作家の相馬杜宇(あいばもりたか)と申します。
知人を通じて、東京都に下記発言が寄せられたことを知り、寝耳に水の事態で、何のことなのか分からず、呆然としてしまいました。
私事ですが、2016年12月18日脳出血を発症しました。半年間のリハビリ生活の末、何とか杖を突いて歩けるようになりましたが、左の片麻痺という後遺症が残ってしまいました。
それまで時給1300円、月曜から金曜まで、フルタイム勤務でのWEBライターをしておりましたが、残念ながら退職となり、仕事を探さなければならなくなりました。
本当に大変なのはここからでした。身障者向けのハローワークで紹介状を発行して貰うのですが、採用枠1名につき応募者が20名以上も応募が殺到し、企業の人事は面接の際、「これだけのご経歴がお持ちなら、別のお仕事の方が良いのでは?」と言われ、もちろん本音の上ではそうなのですが、心の底から働きたいと強く思いました。
一応雇用保険は受給されているものの、いつ仕事が決まるかも知れない不安と自分に見合ったお金では無い対価と、日々怯える毎日を過ごしました。
結局決まったのは在宅の案件で、法令上障害者を雇用しなければならないものの、当面お願いする仕事はなく、給料は払い続ける代わりにひとまず待機となるがそれでも構わないかと言われた非常にグレーゾーンのもので、半年間ずっと無職だったため、熟考の末、受け入れることにしました。
今は自身の作品を書きながら、執筆する毎日を送っています。これまでに照らし合わせて考えますと、決して言い訳に過ぎない訳では有りませんし、「負けたら自分が弱いだけ」でもありません。誤解を招く表現だと私は思います。
また、何より疑問に思いますのが、なぜあえてセンセーショナルな表現を使ったのかということです。障害者も馬鹿ではありませんし、同様に酷いと感じる当事者はいたはずです。新潮45にも問題となりましたが、いったいどういうプロセスを経て、考えだされたものでしょうか?
新潮45についてはあきらかに差別です。今回の発言についても明るみに出れば、かなり問題となる事態だと私は思います。
以上回答よろしくお願いします。

相馬杜宇拝

プロフィールと上演歴

演劇は付き合いもたぶんにあり、全て実力だとは限りませんが、過去のプロフィールと上演歴です。
機会を頂ければ、本気で書きます。
よろしくお願いします。

プロフィール
相馬杜宇(あいばもりたか)
劇作家。演劇ユニットどうかとおもう代表。
大学卒業後、劇団劇作家の旗揚げに参加。5年の在籍の後フリーとして活動。2015年に俳優清水大将と演劇ユニットどうかとおもうを設立。世の中の「どうかと思う」ことを芝居や風刺コントとして発表している。
ウィットに富んだ喜劇を得意とし、劇団、プロデュースユニットなどに脚本を提供している。戯曲『ありか』でテアトロ新人戯曲賞最終候補。『こたつ』でNHK仙台局オーディオドラマコンクール最終候補。他の主な作品に『痩せてたまるか!』、『茶飲み兄弟』などがある。
また2016年では福島原発事故を題材とした朗読劇『それゆけ安全マン!?レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ』が東京新聞にて3ヶ月間台本連載された。
○主な上演歴
2007年 『在り処』(劇団劇作家公演「劇読み! Vol..1」にて上演)

2008年 『在り処』(株式会社メッセージにて上演)
『幕切れ』(劇作人プロデュースにて上演)
『在』(演劇集団池田塾にて上演)
『痩せてたまるか!』(演劇集団池田塾にて上演)
『もっと平和に』(「平和ミュージカル・ふじさわ」にて上演)

2009年 『在り処』(劇団朋友、劇団蒼生樹にて上演、演出:道場禎一)
『茶飲み兄弟』(劇団俳協にて上演)
『在』(劇団蒼生樹にて上演)
『痩せてたまるか!』(劇団劇作家にて上演)
『百合の季節』(劇団朋友にて上演、演出:黒岩亮 於:俳優座劇場)

2010年 『カクカクシカジカの話』(非戦を選ぶ演劇人の会上演)
2011年 『ポリオ・プラス』(ロータリークラブミーティングにて朗読上演)
『それゆけ安全マン!?~レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ~』(ユニットチワワにて上演)
2012年 『12匹の由緒ある猫たち』(劇団猫の会にて上演。演出:関根信一)
2013年 『笑って死んでくれ』(劇団だるま座にて上演、演出:藤井ごう)
2014年 『汗』『PUBLIC CURRY』(ゲキ☆BARにて上演、演出:古川貴義)
2015年 『家裁の裏庭』(take inプロデュースにて上演)
《主な講師歴》
平成21年8月 演劇教育連盟全国大会脚本講座講師アシスタント(22年も)    
平成22年8月 神奈川県中学校演劇連盟脚本講座講師(23年、24年も)
平成23年度 埼玉県立芸術総合高校舞台芸術コース講師アシスタント(上演指導)
平成22年9月 劇作ワークショップ講師(主催事業)
平成23年4月 中国地区演劇教育連盟劇作ワークショップ講師アシスタント
平成23年9月 高校演劇コンクール東京地区大会審査員
(~27年まで毎年)
平成24年4月 横浜市泉区民文化センター主催劇作ワークショップ講師
平成24年 横浜市中学校脚本コンクール審査員
平成25年7月 東京都高校演劇連盟脚本講座講師
平成25年8月 演劇教育連盟全国大会脚本講座講師(26年も)
平成25年11月 さがみ風っ子演劇祭講師
平成25年 神奈川県中学校脚本コンクール審査員(26年も)
平成26年 青森県高校演劇連盟主催脚本ワークショップ講師アシスタント
平成27年2月 栃木県高校演劇連盟主催演劇講座(脚本)講師
平成27年9月 山梨県高校演劇連盟主催脚本講座講師
平成27年10月 高校演劇コンクール山梨地区大会審査員

『障害者雇用の水増しに関する要望書』

経済産業省を始めとする多くの中央省庁が
障害者雇用の水増しが明らかになりました。
各省庁の水増し雇用率は、0%を大きく下回り、
「働いて欲しくない」意志が透けて見えます。
障害者雇用促進法により、企業は障害者を雇用されることが義務付けられています。
民間企業は法廷雇用率が未達成の場合、
月5万円を納付し、大きく下回った場合には社名公表など、
厳しいペナルティーがあります。
しかし、国の行政機関にはそれがありません。
いわばお咎め無しです。 
私事で恐縮ですが、2016年12月18日、脳出血を発症しました。
現在は左の片麻痺を抱えています。就職活動にはかなり苦労し、やっと見つけた身障者向けの求人は、当面お願いしたい業務は無く、給料は支払われるものの、ひとまず待機と言われています。
つまり、何一つ働かないまま、給料が支払われる仕組みです。
そこには労働の喜びや働くやりがいなどは見出だすことが出来ません。
確かに健常者に比べると、障害者は見劣りしてしまうのは事実です。
言葉を選ばずに言えば、「障害者は足手まとい」という本音が透けて見えます。
企業はいずれも合理化を基本として進めていますから、長い視野で考えると、得策では無いかもしれません。
しかし待って下さい。
そもそも障害者雇用促進法はただ嫌々障害者を雇用するためのものでしょうか?
そもそもの発想がずれているように思います。ただ単にルーティンワークをお任せするのではなく、障害者がより貢献する仕事は無いのか、あなたが一番輝く方法とは何かを真剣に模索する段階に来ているのではないでしょうか?
こうを言うと、「綺麗事を言うな」と言うかもしれません。
少し話題が変わりますが、昨日、非戦を選ぶ演劇人の会のピースリーディングを観てきました。その中で胸を打たれた台詞がありました。
それは…

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

そう、 日本国憲法前文です。確かに活字で読むと難しい漢字が多く、敷居が高いように感じるかもしれません。しかし、俳優達で読むと、本当に泣きそうになりました。戦争を経て、二度と同じ戦争が起こることの無いよう胸に刻み、国民の権利、人権の尊重を高らかに謳い上げた格調高い文章です。私は憲法前文を聞いている時、同時に障害者のことについて思っていました。人権を尊重している裏で、障害者の水増しが行われているー。悲しい思いに駆られます。
障害者の就職活動は本当に厳しいです。なかなか仕事が決まらなかった頃、死を覚悟したことも一度や二度ではありません。「障害者の権利ばかり主張して偉そうに」という意見もたまに見掛けますが、誤解の無いように申し上げると、私は「障害者」という言葉にかなり抵抗がありました。今はこうして文章を書いていますが、身障者手帳を受け取ること、一目に晒されること、全てに恥じらいがあり、ようやく少し順応してきました。権利を主張するのは、おそらく壁にぶち当たってきて、乗り越えてきた方だと思います。それが想像できるからこそ、私は「偉そうに」とは使いませんし、「きっと苦労をされたのだろうな」と思います。
各省庁の担当者にお願いがあります。
行政機関は障害者雇用を根本から見直し、真っ当な雇用率に戻して下さい。
ご検討よろしくお願いいたします。

相馬杜宇

『たかおとたかあき』観劇~私ならこう書く~

無数にちりばめられたゴミの山に一瞬「おおっ!」と思いながら期待して開演。ランドセル、犬の首輪などそれぞれの体験が綴られる。
エピソードは興味深いが、いかんせんゴミが多いため、他のゴミのことは語られず。「もしや登場させただけなのでは?」と錯覚を覚える。「一見意味のないことでも、本人にとってはかなり思い入れが強かったりするんだよなあ」ということを思う。役の人物がやり取りをするなかで、認識が変わっていくのがセオリーだと個人的には思う。
興味深かったのがゴミ屋敷とおぼしき人物が生年月日を書き入れるところ。年月が経過していると記憶が曖昧だったりする。確かに自分も身内の年齢やましてや生年月日なんて言える自信がない。何らかの事情があり、家族も全てを失って、生年月日さえも真実か分からない瞬間があるんじゃないかと思う。
もし分かりやすいドラマにするならば、事件が起きるのが良いのではないかとふと思った。例えば立ち退きを迫られているとか。ホームレス支援に関わったことがあるので知ってるが、ゴミ屋敷に棲息していると、ほぼ十中八九立ち退きを迫られている。皆が助け合いながら仲良く暮らしているとだいたい狙われてしまい、悪質だ。「立ち退きまであと●日」という目下の目標があるので、一本柱があると話題になりやすいし、ドラマが深まっていくのではないかと思う。
一点惜しかったのが地域福祉課の職員。「そもそもなぜいるのか?」のリサーチが少し浅いように感じた。「ちょっと来ちゃいました(テヘッ)」と言うけれど、「そもそも業務だよね?」と頭をよぎった。例えば以下のプランが考えられる。
【A案】立ち退きを迫りに来たが、何らかの理由があり、休日を利用して(ボランティアで)ゴミ屋敷の元を訪れている。
【B案】純粋に立ち退きを迫りに来ている。

A案だとすれば自由度が高く、好きに書けるが、B案はきちんとリサーチをしないといけない。いずれにしても「なぜ登場するのか?」を決めた方がベターだ。台本はふらっとやってきたことを装って、実は意図的に描いているのだから。

ゴミって過去の思い出が蓄積されてる作品だと思う。かなり思い入れがあるゴミだったり、実はたまたまお金を持っていて、何となく浪費していたゴミだったり。。
「そもそもゴミとは何?」と登場人物に価値が変わってくるとさらに面白くなると個人的には思った。

…と、あれこれ語ってしまったが、もちろん演劇に正解は無い。いくつものバックボーンを持ち込んでくる剣持さんはやっぱり素晴らしいと思ったし、ただただ敬愛する限りだ。

また、出演者の榎本桜さんは色気があって素敵だなと思った。